東京大学理科二類に合格したM.Y.さんの自習室利用体験記

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利用者の声 Eukareまちだ自習室ご利用 M.Y. さん(大学受験)

東京大学理科二類に合格したM.Y.です。

自筆用紙

Eukareまちだ自習室より、東京大学理科二類に合格したM.Y.です。

この度、利用体験記を書かせて頂くことになり大変うれしく思います。主に私の大学受験体験を中心に自習室利用体験などについて書いていきますが、何か皆さまの参考になるところがあれば幸いです。

まず初めに、私がEukareまちだ自習室を利用することになるまでの経緯を簡単に説明したいと思います。私は中高一貫の進学校に在籍しておりましたが、五年間ずっと成績は見るも無残な劣等生でした。高三の春にやっと奮起して受験勉強を始めますが、五年間怠けていた負債は到底一年で返しきれるはずもなく、当然のように浪人が決定、一浪目は有名予備校に在籍し、何の気なしに授業を聞く日々を過ごしました。当時は予備校に通っていれば何とかなるだろうという甘い考えもあったのでしょうか。成績は平行状態のまま二度目の本番を迎え、二度目の敗北を告げられます。私は泣きながら二浪を受け入れました。

しかし、ここで問題になったのは、では二浪はどのように過ごすのかということでした。私はだらだらと過ごしていた現役、一浪をふりかえり、自分の可能性を本気で試してみたい衝動に駆られました。故に予備校には一切通わず、言い訳のできない独学で東大を目指すことを決意します。そして、はたまた問題となったのは、家での私のだらけっぷりでした。家で勉強をしても集中力など一時間も保てず、すぐにベッドに転がってしまう歴史が私にはありました。さすがの私も宅浪はマズいと感じ、どこか自習室だけでも貸してくれるところはないかとネットで検索、すぐにEukareまちだ自習室を知り、机の広いL席に惹かれて自習室をEukareまちだに決定。私の二浪は始まった、とまあ大体こんな感じでした。そしてその結果として、この度ずっと夢だった東京大学に無事合格することができました。

しかし、もちろんその道のりは平坦なものでは決してなく、波乱万丈な二浪を自習室で一人過ごしました。まず、自習室利用一日目にして、大事件が起きました。なんと一浪の後期試験で受けた北海道大学から補欠合格の連絡が私のケータイにきたのです。私はその日、自習室で初日ということもあり勉強に燃えていたため、ケータイーの電源を切っており、その連絡に気付いたのは午後三時過ぎでした。そしてすぐに入学の意思があるかどうかを一時間以内に決めることを余儀なくされました。私の両親は仕事で連絡も付かず、私は誰にも相談することができないまま一人自習室で頭を抱えました。二浪一日目から何でこんな連絡が今更来るのだと運命の神様を呪いましたが、自分の人生を決める時間が残り少ないのも事実。私は茫然としたまま、今日からやろうと机の上に積んでいた参考書の山を眺めました。

そしてその時、私の中に湧き上がってきたのは、自分の可能性と、ただ一度きりの人生の意味でした。ここで妥協しては一生後悔する。ただ一度きりの人生を望むように生きたい、そう強く思いました。特に何か勝算があったり、私には才能があると確信していたわけではありません。ただ純粋に目の前に用意された自習室という現実を見て、このままじゃ終われないという思いから、北海道大学への入試を辞退しました。

そこからは悔しさと自分への怒りを胸に自習室で勉強に励みました。自分の中では、全てを捨てて勉強しているつもりでした。しかし、そんな決意が嘘のように思えることが六月の中旬に起きます。それまでの完全燃焼で燃え尽きたのか、突然勉強をパタリとやめてしまったのです。理由は本当にくだらなくて情けないものです。なんとここに来て、それまで見向きもしなかったソーシャルゲームにドハマリしてしまったのです。そこからの私の生活は最悪の一言でした。遂には自習室にも行かなくなり、それから実に三ヶ月間、夏期講習や模擬以外での勉強は皆無となりました。ひたすら家のベッドでソシャゲを遊ぶ日々です。もはやその姿は受験生ではなく、ただの引きこもりニートの姿でした。北海道大学を断った時の決意や情熱、悔しさも全てが霧散して、時間だけがむなしく過ぎていきました。

しかし、そんなニートだった私も、九月の中旬になるとさすがに人生の終焉を感じます。このままでは本当に人生が終わると思った私は、持っていたソシャゲ入りのiPodを屋上にぶち込んで封印し、やっと受験生に復帰しました。そして自分の情けなさに直面し、後悔なんてする暇もないくらい猛烈な勢いで勉強を再開します。胸にあるのはただ一つ「終わりたくない」それだけでした。

その勢いのまま直前期に突入しますが、センター試験は上々の出来で乗り切るも、受けた私大は試験当日に不合格を確信するほどの出来ばえ(実際、受けた私大は全て不合格でした)さらに二月の初旬に受けた東大プレテストは絶望的な点数(合格点に60点も届かないような点数でした)

完全に血の気が失せた私は、一日十五時間以上、誇張抜きで死ぬ気で勉強しました。自分の限界を超えるように、生まれて初めて本気で何かに取り組みました。自分に何か可能性があるなら、ここで全てがわかるはずだ。そんな叫びのような思いを抱きながら、東大二次試験本番を迎え、そして終わりました。合格発表に日、私は泣きながら三年越しの合格を噛み締めました。

自習室は良くも悪しも自由なところです。勉強しないからといって誰かが咎めてくれる訳でも、誰かが勉強スケジュールを管理してくれる訳でもありません。勉強するかどうかを決めるのも自分、苦しくて前に進むかどうかを決めるのも自分、そこでは全ての選択が自分の手に委ねられています。

しかし、それはよくよく考えてみれば、至極当たり前のことなのです。どうしても私たちは周りに流されて、自分の人生に対する決断をないがしろにしがちです。それは他人に管理されることを私たちが心のどこかで望んでいるからかもしれません。そしてそのせいで、日々の日常生活の中で自分の弱さと相対することも、何かに本気になることもないのかもしれません。全ての責任と決断を自分で引き受け、高い目標を見据えて努力する時、初めて人は本気になれるのだと思います。

そういう意味では、大学受験に限らず自習室という場所は、まさに努力するのに、本気になるのにうってつけの場所だと思います。人生で本気になれる機会は、そうそうありません。ほとんどの人が平凡な日常の中で、自分の潜在性を引き出すべく、本気になることを望んでいると思います。そして同時にほとんどの人が、自分が本気になることを心のどこかで恐れていると思います。なぜなら本気になってしまえば、自分の限界、底が見えてしまうからです。本気になっても目標に手が届かないことが、失敗することが怖いからです。

しかし人間、いつかは本気にならなければならない時が必ずきます。大学受験などはまさにそうです。そんな時、心から高い目標を叶えたいと思うならば、本気になることをためらっている暇はありません。その志を抱いたまま努力する覚悟があれば、必ず自習室という場所はその期待に応えてくれます。

最後になりましたが、大学受験、特に浪人は自分との戦いです。どれだけ自分が弱くても、それを受け入れて前に進み続けるしかないのです。特に自習室での受験勉強は予備校の和気あいあいとした雰囲気とは異なり、終始自分との一対一の戦いとなります。しかし、だからこそ周りの雰囲気に流されることなく、自分のペースで本気になることができます。そして本気で勉強ができる空間がどんな時でもそこにあるというのは、言い知れぬ安心感があります。私が何度挫折しそうになった時でも、自習室は何も言わずに常にそこにありました。だから私は決してあきらめることなく、栄冠を勝ち取ることができたのかもしれません。自分の可能性を信じて強い意志で何かを志す人にとって、自習室という空間は自分と正面から向き合う貴重な体験の場となると思います。

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